モワイエーン

日々起こった事について、又興味について書いていきたいと思います。

SNSの罠

この記事に関しては私の多少の偏見が入るために閲覧した人の気を害してしまうかもしれませんが一つの考えと捉えて読んでもらえると光栄です。

Twitter,FacebookそしてLINEというSNSが現代の若者を席巻する世の中になっています。先ず、ネットリテラシーの欠如について指摘したい。近頃Twitter上に社会的、衛生的に不適切である画像をアップして社会的制裁を受ける例やそれに類似した例が後を絶たない。これらの問題に共通しているのはおそらくそのようなツールを自分が所属しているコミュニティしか見ないだろうと勘違いする人、また同格ではあるが現実をSNSに反映したがる人である。前者は自コミュニティがそれだけで完結すると勘違いしてしまい、後者はSNSが現実の延長であり不特定多数の人が見ることができると考えないので細いがしかし鋼鉄のように強く持続性のある”パイプ”つまりTwitterにおけるRTが多くのコミュニティのパイプを通じ、今度は太い管である2ちゃんねるからまとめサイトに転じるということを想像しえない。偏見で申し訳ないのだがこのような事をしたり、Facebookにくだらない投稿やそれをTwitterというツールのような一回の呟きが連鎖していくような軽い投稿と勘違いして入り浸るような行為をするのは地元に残ったり、二十になっても小中高のコミュニティを抜け出さずにいるエスノセントリズム的連中が多いような気がする。このような連中はもう一度何が善か悪かを身につけるようフリークスではなく純然たる大人になってほしい。

次に指摘したいのはSNSは繋がりすぎたということだ。SNSで友達が多いような人の事を言っている。小中高大と来るとそれだけ知り合った母数は多いだろうが首の皮ならず神経で繋がったような知り合いを友達登録することには少なくとも私にとって疑問が生ずる。言い方は悪いが、どうでもいいような知り合いの近況がニュースフィードに流れどうでもいいような情報を収集するのでFacebook内での縁を切りたいと思うも切ることができないことにストレスを感じてしまうのでは地獄である。Facebookの友達数やTwitterのフォロワー数を物差しにして自分は友達が多い、顔が広い等言う人にははっきり呆れてしまう。もちろんそのようなSNSで各々の情報を知りすぎてしまうということにも問題がある。これは特にネットで関係がこじれるような場合に多いのだが、欠片のような情報が積みに積み重なり、あたかも悪口を言ったような状況に置かれる場合がある。もちろん何十年前のSNSがなかった時代、手紙や電話でしか情報を媒介するものがなかった時代にはそんなことは少なかったはずである。このinteractiveからunilateralになっている状況を私は危惧している。信憑性の少ない情報が流通している今簡単に多くの情報を知ることができるせいで嘘か本当か分からないまま大義名分をふりかざして行動する人が少なくはない。直接対面できる人については是非直接会って話をするのが最も良いはずだ。

最後にSNSはぼっちという言葉を顕著化し、恥たらしめてしまった。SNSでコミュニティができたため、又は増えすぎたために団体で行動することが是という風潮になってしまった今、一人で行動することが恥という風潮が最近は減ってきているがまだまだあるのではないかと思っている。人目を気にしなければならない状況がSNSによって生み出され、カップルや集団で写真を撮りアップすることが是、つまりリア充とされることに私は怒っている。一人で、きままに生きる事だって彼、彼女のライフスタイルであり、彼らにとっては理想郷であるかもしれないのである。一見SNSに多様性があるように見えてそのように一元化している部分がまだまだあるのではないかと思う。俺はぼっちという言葉を使う奴に心底怒っている。

ネットと言う名の海は膨大であるがすべての海は繋がっていて湖ではない。ネットリテラシーを吟味し行動することが大事であるはずだ。

The Internet has no generosity. インターネットには寛容のかけらもない。